宿物語|里と海の「あわい」の土地で(文・聞き手|簑田理香)

第1章  波を聴く|水がめぐる「あわい」の土地で。(その2)神磯に鳥居が在る風景

神様の土地

大洗岬からバトンを受け継ぎ、この土地のシンボルとなった神磯の鳥居。その神の岩に立ち、里の側を振り返ると、海岸沿いの道の向こうに、大洗磯前神社の二の鳥居と、椎の木や山桜の大木が茂る鎮守の杜、その間を境内へ続く階段が見えます。
『大洗町史』によると、海上からふたりの神が、この岩に降り立ち、そのことを856年に国司が朝廷に上言し、大洗磯前神社と酒列磯前神社が、朝廷からも祭祀に供物が備えられる格式が与えられたという記録が残っているそうです。
当時の『文徳実録』に残る記述を意訳した『大洗町史』(p211)から、伝説のくだりを要約してみましょう。

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鹿島灘の大洗の浜に住むものは、海水を煮て塩を作るものが多く、その塩づくりの最中、真夜中に海面に光り輝くものが見えた。翌朝、塩づくりの翁がその辺りを探してみたところ、海岸に接して直径が一尺ほどの二つの岩石が突如として現れていたという。翌日ふたたび行ってみると、これまでに見たこともないような色をした小石が、ふたつの岩石をとりまくように並んでいる。よくよく岩石を見てみるに、神がその形を借りて現れたと思うほかなく、神が人に取り憑いて言わせるに「われこそは、大己貴命(おおなむちのみこと)少彦名命(すくなひこなのみこと)である」「昔、この地を造り終えた後、東海に移っていたが、今、この地の民を救うために帰ってきた」
……
大己貴命は、大国主神の別称のひとつで、海原を統治する神様だと言われています。少彦名命は、『古事記』の中では、大国主神と兄弟の契りを交わし、国造りに力を合わせるようになったと記されています。
伝説に残るふたつの大岩が、いまの鳥居が立つ神磯の岩礁なのでしょうか。蓼沼さんは、その可能性を探るには、水戸光圀の時代にまで遡ったほうが良さそうだと考えています。
『大洗町史』によれば、大洗磯前神社は、永禄年間(1558?1569)の戦乱により焼け落ちて、以降は、海辺に小さな祠が作られて存続しているという状態だったと言います。それを建て直し再興したのが、水戸藩の第二代当主、徳川光圀。1689年のことでした。
「伝説の大岩が、現在の神磯と呼ばれる地であったかどうか、特定するための記録は無いんです。神磯の、記録への登場は、江戸時代後期の1839年に神社境内に建てられた『大洗大神感應之碑』まで待たなければなりません」

伝説の在り処は不確かだとしても、新しい1年を迎える朝に、その年最初の陽の光を求めて、岩という岩や海岸沿いの道を鈴なりの人が埋め尽くす日もあり、とりたててなんでもない一日でも、この岩に立ち鳥居の向こうの大海原を飽きることなく眺める人がいます。日常の朝の散歩を楽しみながら、神磯に佇み風に吹かれ波の音を聞きながら、ただただ、しばし、そこに居る人もいます。確かなことは、古事記の時代から続く今の時代でも、多くの人を惹きつける、日常世界と聖なる領域の「あわい」の空間がここにあるということです。

神磯の鳥居を背に、神社の境内へ続く階段を登ります。左右に広がる椎の森は、密に茂りながら、お互いが存在を認め合うように共存するように、樹冠の形を丸く丸く形づくっています。浜から徒歩5分ほどで、海抜26mの境内に。社殿に参拝して振り返れば、二の鳥居の向こうには、太平洋の大海原が光っています。

「ここのロケーションには、いらっしゃる方はみなさん感動してくださいますね。拝殿からも海が見えますから…。わたしたちだけでなく、神様の目からも、いつも海が見えているわけなんです」と教えてくださったのは、宮司の飯塚重(いいつかしげし)さん。

「神磯の鳥居が建てられたのは、創建から1100年の節目ということで、昭和38年のことだったようです。それまでに木の鳥居があったと聞いていますが、残念ながら記録が残っておりません。石の鳥居は丈夫ですよ、台風の大波をかぶっても震災の時も、びくりともしません。ただね、太平洋に向かう面が波に侵蝕されて、表面がでこぼこして痩せてきています」
自らの身を細らせながら、荒波に向かい立つ鳥居。そう聞くと、「鳥居を盾にして守られている」という土地の姿が見えてきます。守られて、そして、力を授かることができる場所…。近年、神社にはパワースポットとしての価値を求めて訪れる人も少なくはないと聞きます。
「パワースポットという言い方が適切かどうかはわかりませんが、やはり、神様の力が満ちている場所ですから、ここにいらっしゃる方で、それを感じることができる方には、神様の力をいただいて充電できる場所なのでしょう。一般の方だけでなく、占いや易をやっていらっしゃる方も多くご祈祷にみえます。多くの人の占いをやっていると、だんだん自分自身の気も衰えてくるそうです。そうすると、ここへきて、神様からまた気の力を授けていただく。この土地が持つ力と、人が感じとる力。これが大切ですね」

社殿の裏手にまわると、錆ついた錨が奉納されている一角があります。錨がここに持ち込まれることには、どのような意味があるのでしょうか?
「漁師さんが網を引くでしょう。そうして海に沈んでいる錨が網にかかったら、引き上げてここに奉納して、お祓いを受けるんです。それから金物除けと言って、漁に出て、船から誤って包丁とかの金物を海に落としたら、すぐに漁を止めて神社に来てお祓いを受けるんです。なぜかというと、辰や巳が水の神様でもあるんですが、辰や巳の神様は金物を嫌うんですよ。海に落としたら神様が怒るから。お祓いを受けて怒りを沈めないといけないんです。海は大切な仕事場ですからね」